東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1673号 判決
控訴人
株式会社北村商店
右代表者
北村傳司
右訴訟代理人
釘澤一郎
外三名
被控訴人
国
右代表者
瀬戸山三男
右訴訟代理人
横山茂晴
右指定代理人
牧野嚴
外七名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
当裁判所も控訴人の請求はいずれも理由がないと判断するものであつて、その理由は、左記のとおり付加、訂正するほかは、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。
一原判決書四二枚目三行目から四行目にかけて、「(チクロの量一日二、五〇〇mg/kg)」とあるのを「(チクロの量一日体重一キログラム当り二二七二、七ミリグラム)」と、同裏九行目に「されを実験結果」とあるのを「された実験結果」と、四四枚目裏六行目に「WHO」とあるのを「二五〇〇ミリグラムはWHO」と名訂正し、四九枚目表三行目に「確定的に」とあるのを削り、同裏三行目に「甲第一、第五号証」とあるのを「乙第一、第五号証」と、五一枚目裏四行目に「フエアミユーレン」とあるのを「フエアシユーレン」と、五二枚目表五行目に「四〇〇倍」とあるのを「二〇〇倍」と各訂正し、五五枚目裏七行目から一〇行目迄の記載を削除する。
二食品衛生法六条の趣旨によれば、化学的合成品たる食品添加物の指定の取消に当つては、当該食品添加物が人の健康を害する虞れのないことについて積極的な確認が得られないというだけの理由で十分であつて、それが人の健康を害する虞れがあることの証明を要するものではないと解される。本件における厚生大臣がチクロについて食品添加物の指定を取消した措置は原判決判示のような食品衛生調査会の答申に基づいてなされたものであつて、チクロが人の健康を害する虞れがないとは認められないとする意味における措置として、食品添加物指定制度の趣旨に適合するものと認められるのであり、かつ、右答申の内容からして、科学的根拠があるものということができる。右答申及びこれをうけた本件取消の措置は、オーサーの実験報告を重要な根拠とするものであるが、それのみを根拠としているのではなく、オーサーの実験報告を契機として、チクロに関する従来の知見を再検討し、それらを総合して、なされたものであり、チクロの代謝物であるシクロヘキシルアミンが染色体に異常をおこさせるいわゆる変異源性を有するとの実験結果も、右答申及び措置の一つの重要な根拠となつているのであることは前記答申の内容、〈証拠〉により明らかである。この変異源性の問題は前年の昭和四三年米国FDAによつて発表され、更に厚生省は右措置の六ケ月前の昭和四四年五月にこれについて委嘱研究機関から中間報告を受けていたこと、変異源性を発がん性との相関関係においてとらえるようになつたのは右措置のなされた時期より後の学問的進歩によるものであることが、〈証拠〉によつて認められるけれども、それによつて右認定を左右すべきものとは認められない。前記答申及び措置が、オーサーの実験の評価に当り、自然発生がんの存在を無視したものとは認められないし、右実験の前に行われた実験やその後に行われた追試のすべてが発がん性について陰性の結果であつたからといつて、またオーサーの実験における投与量が甚だしく多量であつたからといつて、チクロの食品添加物としての安全性を判断する上において、オーサーの実験報告を無視してよいといえるものでないことは、原判決説示のところから明らかというべきである。
三厚生大臣が当初チクロの指定を取消し、その使用禁止の措置をなした時期(昭和四四年一一月五日)とその後使用禁止の猶予期間延長の措置をとつた時期(〈証拠〉により昭和四五年一月一四日と認められる)との間に、チクロについて新しい知見、資料が得られたものでないことは、前掲小島証言によつて認められるところであり、延長された猶予期間を当初の措置において定める等の方法をとることも不可能でなかつたと認められるが、どのような規制方法をとるかは、人体に対する危険性の見地から許される範囲内で行政上の裁量に委ねられるところというべきであるから、本件指定取消及びこれに随伴する措置を方法において違法であると目するに足らない。
四控訴人はチクロと亜硝酸ナトリウム等の他の食品添加物とで被控訴人の食品行政上の取扱いが区々であると主張するが、右は本件指定取消の措置を違法とする事由に当らず、また、その主張を右措置がチクロの安全性以外の別の理由でなされた違法なものであるとの主張と考えて見ても、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。
五食品添加物の指定は、これに基づき当該食品添加物を使用して食品の製造、販売をする業者の営業上の利益を保障する趣旨でなされるものではない(なお、被控訴人がチクロ使用を控訴人ら業者に勘案するような行政指導を行つた事実を認めるに足る証拠はない。原審及び当審における控訴人代表者の供述は右の事実を認めるに十分ではない)。そしてチクロの場合の如く、一旦は食品添加物の指定を受けながら、その後の自然科学の発達によつてその安全性に疑問が抱かれて、指定の取消がなされることがあつても、それは、化学的合成品である食品添加物に本来内在する制約であるというべきである。従つて、チクロの食品添加物指定を信頼して、チクロを使用して食品の製造、販売をなしていたという控訴人が、右指定の取消によつて、チクロ含有の商品の販売上損失を蒙つたとしても、特別の規定をまたずに、禁反言ないし信義誠実の原則によつて当然に被控訴人が控訴人の損失を補償すべきものである、とはいえない。また、なにびとも人の健康を害する虞れがないとは認められない食品添加物を使用した食品を販売する権利、自由を有するものではないから、前記のような理由で本件指定が取消されて、控訴人がチクロ含有の食品の販売制限を受けるに至つても、特別な規定をまたずに、公用収用に準ずるものとして、被控訴人に控訴人の損失を補償させるべきである、とは解し得ない。以上のように解することが憲法二九条三項の要請に反するものとはいえない。
六当審で新たに提出、援用された証拠は引用の原判決の認定判断及び前記二ないし五の判断を左右するに足りない。〈以下、省略〉
(岡松行雄 田中永司 賀集唱)